日本の10大家紋を紹介します

家紋は、日本の伝統と風土の中で生まれた紋章であり、家族・同族のシンボルであります。 紋どころを付けた衣服や調度品・道具などを「紋付」といいますが、それは冠婚葬祭の中でも なお大きな役割を 占めています。 家紋は、物の模様を図案化し、家の徽章(身分・職業をあらわす しるし)として用いたのが起こりと伝えらています。 はじめは、同一の模様を調度品や 衣装・車輿などの装飾に用いていたものが、繰り返し使っているうちにいつの間にか、その家の印となり、やがて家紋となった。 元禄時代に 豪商・紀伊国屋文左衛門が、羽織に自家の定紋をつけたのが町人間の紋付羽織の始まりとされています このころはまだ 名字(苗字)・帯刀は許されていなかったものの、庶民の間でも、祖先や家柄を誇示するため 思い思いに 家の紋を作り、衣装や調度品・家具などにつけたのです。又 在来の基本形を 変えたり、紋屋や紋の絵師(デザイナー) に注文して紋を作った為に、奇抜な紋や紋の数が急激にふえたのも この頃です。 明治時代になり、万民が名字を持つようになると,それに伴って家紋も乱用され 紋帳などから自分の気に入った ものを選ぶようになりました。  家紋に植物を図案にした物が多いのは、その血縁(先祖)の人々の生まれた土地に自生した植物や よく見られた自然の姿が、 当初の家紋になった と考えられています。

丸に違い鷹の羽

鷹の羽 (たかのは)狩猟法の1つ 鷹狩りでも有名なタカは鷲・鷹・目に属する小・中形の鳥類の総称で、姿に威厳があることから古来より尊重された。 家紋に採用されたのは 姿の威厳と美しさ、又鷹神への信仰心から


鷹 紋の主な使用家 

近衛・菊池・町野・稲尾・美馬・大田・福井・倉光・中村・西郷・小島・兵藤・山鹿・藤田・村田・伊斧・合志・迫・永見・岡本・坂本・高木・草野・
上妻・妻住・佐野・永野・堀川・八代・出田・片隅・大浦・小山・小野崎・林原・石坂・加江・城赤星・若宮・長瀬・重高・深川・高瀬・託摩・安部・浅野・らの各家。

丸に木瓜

木瓜 (もっこう)はユキノシタ科のバイカアマチャの別称だが、木瓜紋はキュウリやカボチャの切り口の図案化だという説と、 バラ科の蔓性常緑低木の木香バラという説がある



木瓜紋の主な使用家 

朝倉・富永・遊佐・宮・太平・八木・大田垣・池田・三木・海老名・岩城・織田・由佐・秋元・熊谷・折野・松岡・らの各家。

下がり藤

(ふじ)は山野に広く自生し、また鑑賞用に栽培される藤は、マメ科の蔓性落葉低木。藤紋はこの藤の花と葉を図案化したもので普通花葉を丸くデザインしている。 藤原氏から出た者すべてが藤紋とは限らないが 代表家紋である





藤 紋の主な使用家 

内藤・藤原・九条・六条・一条・醍醐・正親町・裏辻・富小路・佐藤・武藤・近藤・尾藤・首藤・安藤・後藤・伊藤・新藤・斉藤・加藤・大野・伊丹
由佐・伊賀・箕浦・小寺・鈴木・大久保 らの各家。


丸に橘

 (たちばな)は ミカン科の常緑小高木で直径3センチ位の果実を実らせるが、酸味が強く食用にはならない。しかし、橘紋は、紀州ミカンの原種を図案化したものだろうと歴史上から推理できる。 使用は橘諸兄が最初と言う





橘 紋の主な使用家  橘・薬師寺・小寺・柴田・井伊・久世・黒田・松平・長谷川・紅林・山田・野尻・大平・牧・山中・岡本・福富・山脇・岩室・和田・中井・稲尾・柚岡 山崎・土田・岩下・辻・長尾・米野・江坂・本山・浅井・井伊 らの各家。

丸に五三の桐

(きり)は幹の高さ約10mにも達するゴマノハグサ科の落葉高木で琴や家具の材料として用いられる。 この桐の花と葉を図案化した桐紋は、豊臣家の紋としても著名だが、もともとは菊紋と同じに皇室の専用の紋章だった。



桐 紋の主な使用家 

吉良・渋河・石橋・斯波・細川・畠山・上野・一色・山名・新田・大館・仁木・今川・桃井・佐々木・朽木・金森・大友・織田・稲葉・松平・毛利・牧野
宗・上杉・有馬・小笠原・喜蓮川・伊達・田村・丹羽・前田・京極・内藤・木下・蜂須賀・山内・脇坂・仙石・森関・土方・谷山 らの各家。


丸に三つ柏

(かしわ)はブナ科の落葉高木。古くは葉に食物を盛り、食器の代わりに用いられた。柏紋の80%は 三つ柏と  抱き柏が占めている。使用家は 神職に多く、恵比須神社も 三つ柏を神紋にしている。漁師の柏紋は護符的な意味から使用される



柏 紋の主な使用家 

久志本・千秋・大守・宗像・卜部・吉田・藤井・萩原・錦織・朝日・野間・上林・雀部・瓦林・水原・山内・蜂須賀・中川・牧野 らの各家。

丸に蔦

(つた)は、中国・日本列島が原産地で ブドウ科の多年生落葉藤本。【地綿】書いてツタとも読む。蔦紋の使用家の代表は松平家で、葵紋を使用するのは 恐れ多いとして この紋に変えたのをはじめ、一族一門の繁栄を願って将軍吉宗も 用いた。



蔦 紋の主な使用家 

児玉・椎名・富田・高安・藤堂・松平・六郷 らの各家。

丸に片喰

片喰 (かたばみ)は全世界に分布する カタバミ科の多年草。カタバミの三葉を図案化して紋章にしたものが大半で、稀に花や実を付けたものもある。 カタバミは、スイモノグサ・スグサとも呼ばれるが、噛むと酸っぱいから この名がついた。



片喰紋の主な使用家 

肥田・中沢・多賀・赤田・平尾・長曾我部・宇喜田・安芸・助任・竹内・荒神・福良・御子左・森川・松平・酒井 らの各家。

丸に抱き茗荷

茗荷 (みょうが)は山野に自生し栽培もされる ミョウガは、ショウガ科の多年草。ショウガに酷似している。此れを食すると
物忘れすると言う 俗説はインドの伝説が由来。茗荷紋と杏葉紋は非常に良く似ている。藤原氏系に使用家が多い。

茗荷紋の主な使用家 

二宮・大沢・中村.増田・飯島・堀・野間・明泉・松村・小沢・羽田・赤林・矢田・稲垣・春田・佐々布・男谷・高屋・水谷 らの各家。

丸に立ち沢瀉

沢瀉 (おもだか)は水田・池沢に自生するオモダカ科の多年草。武将がこの沢瀉紋を好んで用いたのは、カタバミの別名を【勝ち草】とも言った事から戦陣の縁起紋としていたようである。天保改革で有名な水野越前守忠邦も家紋として用いた。



沢瀉紋の主な使用家 

椎名・福島・簗田・毛利・水野・木下・土井・奥平・酒井・松平・浅野・三浦・小川・山田 らの各家。

本家紋と分家紋

旧法の嫡子相続法では、男子の正嫡をもって継承していたから、ニ男以下は分家することになっていた。 家紋も本家紋を使用することは出来ず、デザインを少し変えて使わされた。たとえば裏紋とか本家が丸紋なら細輪、あるいは 隅切り角紋などである。 徳川将軍家と御三家は(葵紋)前掲の紋だが、分家した松平家はそれぞれ異なった紋を使用している。 したがって 「主な使用家」の欄に松平家の名が多く出てくるのもその1つの理由である

家紋の禁止令

権威ある紋や、歴史のある紋に憧れ、濫用する傾向は現代だけではなく、昔もあったようで、文明10年(1478)に他家の紋を勝手に使用することを 禁止した法が発せられている。 此れが家紋の禁止令の最初とされている。天正19年(1591)には菊桐紋の使用禁止がだされ 元禄年間(1688〜)には鶴丸紋の使用禁止令が、享保7年(1722)には葵紋使用禁止令がだされている。しかし下賜されたもの 使用を許可されたものは除かれている。 次いで明治元年(1868)太政官令で菊花紋の皇族以外の使用を禁止し、翌2年には親王家においても十六葉菊花紋の使用を禁止している。 同4年には、過去の下賜や由緒ある家柄を問わずに、皇族以外の菊花紋の使用を禁止し皇族は十四葉一重を用いるようになった。 この法令は第二次大戦まで続いたのである。現在では菊花紋使用禁止令も罰則も無いが、十六葉菊花紋である天皇家ご紋の使用は遠慮すべきだろう。。

その他一般的な家紋です


最近では 自分で作成したオリジナルのある家紋も増えてきました

日本の家紋  オーダーで作るオリジナル家紋  https://kamondb.com/ordermade/

参考文献 梧桐書院  新集 家紋大全 本田總一郎 監修

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